由緒
延喜式内社の 古社
此地方で最初に開けた処にして、国造の居館の地か、石見国造は その後邑智郡吾郷村に移れりという。その地にある天津神社は当社を遷したるものと 云う。吾郷は安濃郡の義にて近くに野井の地名もあり云々
今から千二百年前
桓武天皇の御宇 延暦十一年(七九二)石見国造 紀氏が勢州安濃郡より奉遷す(神社記)
貞観十三年(八七一)十二月(神社記) 正二位を授く
社伝に
「 元亀年間(一五七一)源朝臣小笠原与次郎長旌、同上野介長実等大いに崇敬し、社殿の再建をな す。慶長五年(一六〇〇)毛利輝元当国の守護たりし時社殿再建」( 野井八幡宮棟札)
明治四十一年七月一日 旧村社 野井神社と明治六年以来の郷社 入山八幡宮
併し、郷社 野井神社と称した。
明治四十一年十月字用田(もちだ)鎮座の亀山八幡宮を合併
明治四十四年一月 山王神社(祭神 大山祇神)と王子神社(天照大御神)
明治四十一年十一月 神饌幣帛料 供 進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)
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